影のある人が好きという話
「影がある人が好きなんだよね」
「高橋ってさあ、ぱっと見は影ありそうだけどないんだよね」
という話を先輩がしている。
「まあ、わからんでもないですけど」
そう答えながら、影があるってどういうことだろうと考え始める。
根暗でインドアでオタクな私は影があると言われても否定はできない。
でも一緒にいる高橋くんには、インドアでオタクで声も小さいけど、影がないという。
ということは、影のあるなしはそういうところでは決まらないようだ。
高橋くんになくて私にある影っぽいものってなんだろうと考えていくと、「卑屈さ」「ひねくれ」「悲観的」というワードが浮かんでくる。
こういうことを考えてしまう時点ですでに卑屈さというか過剰な自意識が出てきてしまっているような気がするけれど、たぶん高橋くんと私の違いはこういうところ。
後輩が自分のエッセイを読んでほしいと言ってきた。
「サークルの文集に寄稿してほしいと言われて書いたんですけど、ちゃんと書いた初めてのエッセイなんです」
人に自分の文章読まれるって恥ずかしくない?って聞くと、
「全然。自分の書いた文章をいろんな人に読んでもらえるのがうれしくて」
と言う。こんな純なやついる?
後輩の書いた文章は面白かった。時事ネタを押さえつつほどよくウィットに富んでいるし、前半でチラ見せしていたワードも後半で回収しにかかってくる。
でもなんとなく文章に影がある。
そう、もともとネガティブさにシンパシーを感じて気にかけていた後輩なのである。そんなやつが書く文章なんて面白くないわけがない。
初めてでこんな文章書けるなんてうらやましいなあと思いつつ、「ブログ書きなよ」と先輩面して声を掛ける。もちろん自分がブログをやっていることは内緒にして。
なんだかんだ私も影のある人が好きかもしれない。